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デザイン学部ではイギリスのサウンドアーティスト ジョン・リチャーズ先生による講義とワークショップを開催しました

2023年2月28日掲出

【概要】 英文はこちら>>

 2022年12月にデザイン学部ではイギリスのサウンドアーティスト ジョン・リチャーズ(John Richards)先生による講義とワークショップを開催しました。12月13日に3年生の選択必修科目「専門スキル サウンド・デザイン」(担当:デザイン学部 松村誠一郎)ではご自身の作家活動の紹介と電子音響の原理をハンズオンで学ぶ講義を行い、12月16日には大学院生1年生の選択授業「デジタルデザインスキルⅡ」(担当:デザイン研究科 松村誠一郎)では、短時間でシンセサイザーを電子工作で作るワークショップが実施されました。

John Richards (Dirty Electronics): https://www.dirtyelectronics.org/

 
 

 以下のインタビューは12月16日のワークショップ終了後に実施したものです。表現、デザイン、研究、教育と多岐に渡るトピックについて語られているリチャーズ先生の言葉は、私達の大学教育のあり方に様々な気づきをもたらす内容でした。

【質問1】

I(インタビュアー): まず、あなたのアートワークや表現活動について教えてください。

J(ジョン・リチャーズ先生): 私は「手を汚して」音を出す回路を作るDirty Electronicsの活動でよく知られています。Dirty Electronicsとは電子回路に直接手で触れる、つまり「手を汚す」ことで音を発生させることです。 電子回路は電線(以下、ワイヤー)や電子部品で構成されていますが、デジタル・シンセサイザーも作りますし、マイクロプロセッサーも扱います。モノづくりとサウンドがいかに面白い関係で共存しているかを探求するのが好きですね。
 また、たくさんの人と一緒に電子音を作るのが好きなので、私自身はソロアーティストやベッドルームアーティスト(宅録アーティスト)というわけではありません。「モノ」を作り、そのモノの演奏方法を見つけ、そして他の人と一緒に演奏することが好きなのです。これは本当に楽しいことなのです。私が音を出すシンセサイザーやオブジェを作ると、他の人と一緒に演奏したり、新しい要素を初めて見つけたりする機会が生まれます。
 みんなでイチから作れば出発点は同じになります。今日、(ワークショップで)この音を出す電子回路を作りました。みなさんも私もまだ使い方を知らないかもしれませんが、今日一緒に仕事をした人たちはみんな同じ出発点からでした。
 ラテン語で「白紙状態」を意味する「タブラ・ラサ(tabula rasa)」からスタートしたわけですが、これは「クリエイティブ」にとって非常に重要な意味を持ちます。白紙の状態であれば、何かを作り上げたり、新しい音楽を見つけたりする自由が得られます。これが、既存の音楽専用のソフトウェアやハードウェアに頼らず、このやり方で電子音響やアートにアプローチする私のモチベーションのひとつとなっています。

I: では、あなたは人々に対して何らかの化学反応を引き起こすことを目指しているのでしょうか?

J: 私はコレクティブ・デザイン(共創的連帯から起こるデザイン)を面白いと感じています。これにはいくつかの異なるアプローチがあります。音があり、音楽があり、パフォーマンスがあり、デザインがあります。私の作品はこれらすべてをカバーしていると思います。時には、クリティカル・デザイン(議論を提起するためのデザイン)や新しい楽器のプロトタイプ(試作品)の作り方や考え方、あるいは何とどのように相互作用するかなどを探求することもあります。
 私の作品にはインタラクションデザインの要素がありますが、インタラクションデザインはパフォーマンスや音楽へのアプローチの方法と重なることもあります。私が興味を持っているのは、インタラクションデザイン、サウンドメイキング、そしてパフォーマンスという3つの要素です。しかし、最終的にはこれらを合わせたアプローチをとることになります。
 例えば今日、私はワークショップのためのある設計図や構造を用意しましたが、一緒に作業することで様々な可能性を探り、参加したそれぞれの人が異なる可能性を考え出しました。解決策とまでは言いませんが、参加者ひとりひとりが、様々なアイデア、新しいアイデアを持ち寄ったのです。私はこのワークショップを世界中のいろいろな国で何度も行ってきましたが、毎回、誰かが別のアプローチ、別のやり方を思いつくのです。そして、このような共同作業や活動を通して、私自身はデザインに関する新しいアイデアを学んできました。この種の共同制作は、ラピッド・プロトタイピングやデザインの考え方に似ていますが、共創のアプローチで行うものなのです。
 実は私は同じような方法で音楽にアプローチするのも好きです。人々を巻き込んで集めて創作を行うことです。私たちはこれを「デヴァイジング(devicing:考案する、発明するの意)」と呼んでいます。誰かが作曲して、みんなにその曲を演奏するように指示するのではありません。いくつかのアイデアや青写真を持ってリハーサルに臨み、みんなで作品を作り上げるのです。みんなの専門性を生かすための手法のようなものです。私は音楽を作るという点においても、作業し、議論し、話し合い、協力することが好きです。ですから、私の音楽制作に対するアプローチはデザインに似ています。ディスカッションをするのです。双方向、三方向、多方向のディスカッションです。そうすると、誰が作者で誰がデザイナーなのか、という問題が出てきます。これは少し問題になるかもしれませんが、そういう要素も含めて私のアートワークのほとんどは共同作業の産物です。

I: つまり、あなたのアートワークやワークショップなどの活動は、参加者それぞれの中に埋もれているコラボレーションやデザインのアイデアを生み出すための、一種のプラットフォームであるということですね。

J: その通りです。最近、私は「ワークショップ」という言葉や「チューター(教師)」という考え方を避けるようにしています。それでは私がワークショップの参加者に教えるだけの役になってしまいます。しかし、今日見てもらったように、私はプラットフォームを作ったけれど、他のみんなはアイデアを持って来てくれたし、そうすることでより面白いコラボレーションができる環境になりました。だから、私は参加者を尊重しなければなりません。でも実際には、彼らはもう「参加者」ではありません。このような参加者と一緒に仕事をするという発想から、私はすべての人を潜在的な協力者として考えるように転換しました。その結果、より良い結果が得られるようになったと思います。
 そして関係は続いていきます。中国に行ってこのような作品やイベントをやったり、イギリスやドイツのある場所に行ってやったら、1〜2年後に誰かが私に手紙をくれるかもしれません。その人たちと将来一緒に仕事をすることもあります。ワークショップは、同じ志を持つ人たちと出会う良い場所にもなっています。もし誰かがそのアウトプットから逆にたどったとしたら、今朝やったような活動を私がどこでやってそのような人たちと出会ったのかがわかるでしょう。そして新たな関係をつないでいくこともできるでしょう。

I: つまり、あなたのアートワークやワークショップなどの活動は、参加者それぞれの中に埋もれているコラボレーションやデザインのアイデアを生み出すための、一種のプラットフォームであるということですね。

J: その通りです。最近、私は「ワークショップ」という言葉や「チューター(教師)」という考え方を避けるようにしています。それでは私がワークショップの参加者に教えるだけの役になってしまいます。しかし、今日見てもらったように、私はプラットフォームを作ったけれど、他のみんなはアイデアを持って来てくれたし、そうすることでより面白いコラボレーションができる環境になりました。だから、私は参加者を尊重しなければなりません。でも実際には、彼らはもう「参加者」ではありません。このような参加者と一緒に仕事をするという発想から、私はすべての人を潜在的な協力者として考えるように転換しました。その結果、より良い結果が得られるようになったと思います。
 そして関係は続いていきます。中国に行ってこのような作品やイベントをやったり、イギリスやドイツのある場所に行ってやったら、1〜2年後に誰かが私に手紙をくれるかもしれません。その人たちと将来一緒に仕事をすることもあります。ワークショップは、同じ志を持つ人たちと出会う良い場所にもなっています。もし誰かがそのアウトプットから逆にたどったとしたら、今朝やったような活動を私がどこでやってそのような人たちと出会ったのかがわかるでしょう。そして新たな関係をつないでいくこともできるでしょう。

I: そういう意味では、あなたは種をまいているということですか?

J: はい。まさに種をまき、プラットフォームを作成していると言えます。人と人をつなぐという意味では、ノイズ音楽を介した結婚相談所ですね(笑)

【質問2】

I: いいですね。 それでは2つ目の質問です。 あなたの教育キャリアや働いてきたキャリアについて教えてください。

J: 私は長いこと美術大学で学びました。でも私は俗に言う「頭でっかち」だったんです。10代の頃はちょっと夢想家でピアノを弾くのが好きでそればかりやっていました。ギターも少し弾いていました。両親は、私を大学か専門学校に行かせたかったので、このことをとても嫌がっていました。当時住んでいた家の隣人がギターの工房をやっていて、ギターを製作していました。私は両親に「大学には行かない。隣の人と一緒にギターを作るんだ」と宣言しました。これも両親にはあまり評判がよくなかったのですが、私にとってはとても素晴らしいことでした。その隣人のギター職人は、以前は演劇の教師をやっていて教え導くのがとても上手だったんです。当時、私は音楽のレッスンを受けていました。彼からギターのレッスンも受ける一方、水曜日の午後はピアノのレッスンに行き、私は音楽にのめり込んで夢中になりました。ある日、ダーティントン芸術専門大学(Dartington College of Arts)という、現代美術を学ぶのにとても興味深い大学があるからたぶん君はそこに行ったらいいんじゃないか、と彼から勧められました。ダーティントン芸術専門大学は英国では歴史的に非常に重要なところです。ストラヴィンスキーやジョン・ケージのように、多くの偉大な作曲家がダーティントンを訪れていました。音楽だけでなくビジュアルアートやダンスなど、さまざまな分野においても非常に重要な大学でした。
 私は入学許可を得てこの美術大学に通いました。現代音楽や現代アートがたくさんあり、私を先鋭化させてくれました。若かった私はとても充実していました。それ以来、私はただ楽しみ、実験し、素材と遊び、人々と遊び、さまざまな芸術形式を探求する、という精神を持ち続けています。私は芸術に対して同じくハングリーなままです。
 このときから私の人生は変わりました。そしてギター職人の彼もまた私の人生を変えたのかもしれません。長い間、彼とは連絡を取っていませんでしたが、最近になって再び彼を見つけ、手紙を書いて、与えてくれたインスピレーションと機会について感謝しようとしています。それぐらい彼は当時の私の人生に大きな影響を与えてくれたのです。
 とにかく、それから勉強と演奏を続け、イギリス北部のヨーク大学(University of York)に行き、電子音楽の博士号を取得し、さらに継続していきました。 自分が何をしているかについてもう少し注意深く考え始めていたので、ヨーク大学はとても適していました。教授は私の考えの一部を明確にし、実践を発展させるのを助けてくれました。この実践と理論を組み合わせるという考えの下では、音楽学や学術研究だけでなく実践や実践的なことも、研究では同様に非常に重要であると見なされていたからです。 その意味で、ヨーク大学は私がいくつかのアイデアについて明確なスタイルで書き始めるのを助けてくれました。 また、自分の実践や現代音楽、電子音楽についても少し書き始めました。
 私自身は少し教えたり、演奏したり、文章を書いたりするというキャリアを経てきていますが、それらはすべてアイデアや実践と同じ表現だと思っています。 私にとって実際に実践を行なったり、実践を止めて考えることがどちらも非常に重要になります。上級者になるにつれて、教材や練習から遠ざかることは非常に簡単ですが、 だからこそ、練習し続け、作り続け、演奏し続け、音を出し続けなければなりません。これは、私が今でも持ち続けている非常に重要なモチベーションです。 そして、研究の中で自分が理論と実践を組み合わせたことが染み込んできているのです。
 一般的に、実践と理論が組み合わされた学問へのアプローチは非常にイギリス的であると言えます。 つまり、私の場合、それは楽器を演奏すると同時に、音楽と音楽学(Musicology)について同時に考えることを意味していました。これは、例えば音楽院に行って楽器の演奏を勉強することとは大きく異なります。 ヨーク大学にいた時、ベルリンの大学と交換留学をして音楽学を学びました。 そこでは、音楽学はピアノや楽器などの演奏とは別のものと見なされていました。 音楽学校(Conservatory)は楽器の演奏を学ぶためのもので、大学は音楽学を学ぶためのものでした。
 このやり方は私には当てはまりませんでした。私は両方を考えるように教育されてきたからです。同時に多くのことをしなければならないため、難しい場合もあります。 多分、それは異なるスキルや異なるものを組み合わせることへのオープンなアプローチがある、ルネッサンス時代の人間に戻ったようなものです。例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチは画家でありデザイナーでもありました。 彼は組み合わせた多くの属性を備えていました。
 私達は何を実践する時は、何か特定のことについて専門化、専門化、専門化しろ、集中、集中、集中するように言われます。しかし、私は自分のさまざまな部分や興味を組み合わせるのが大好きですし、何か全体というものを感じます。 全体として考えると、そこには禅の哲学が少しあるのかもしれません。 私は特定の宗教的人間ではありませんがそう感じます。
 それは庭に例えて言うこともできるでしょう。庭の一部を気にかけてあげないと、少し疲れたり枯れたりしてあまり良くありません。 ですから、庭全体が健康であるように、庭のすべてに目を配って維持し、水がない状態にしないようにします。自分が最も幸せだと思う時間は、芸術を作る上で重要なことです。私は幸せになりたいのですから、なぜ私が芸術を作りながら不幸な時間を過ごさねばならないのでしょう。幸せというのは、庭のすべてに水が行き渡り、手入れがされている状態です。

【質問3】

I: この大学でのワークショップや講義をやられてみて、どのような印象を受けましたか。

J: 異なる国や文化に接することはいつも非常にエキサイティングです。私が行なっている多くのワークショップと同様に、ここでも新世代の新進気鋭のアーティストに囲まれました。 ええ、彼らはまさに「未来」そのもので、このような場所に来ることの最もエキサイティングなことです。 彼らが将来、何をするかはまだわかりませんが、こちらの大学(東京工科大学)にはさまざまなテクノロジーがあり、芸術に対するさまざまなアプローチがあるので、独断的にどれか一つの教えだけを押し付けることがありません。 アートの世界では、すでに美術、彫刻、音楽など、さまざまな分野があります。 しかし、この大学ではその点において、もう少しオープンであると感じます。21 世紀の芸術教育がどうありうるのかを考えさせながら、教育機関として専門分野に挑戦していると思いますね。専門分野に対する考え方が開かれており、まだ探求されて変化しているこちらの大学で、学生達に会えるのは本当に面白いことです。 たとえば、音楽院でワークショップをするとそれはまた別の感じで、時にはあまり良くないこともあります。 そのような教育機関の学生は「荷物が多すぎる」状態と言えるからです。 彼らはすでに「ザ」ミュージシャンなのです。

I: 彼らはすである程度固まっているということですか?

J: ええ、すでに決まった道を進んでいるのです。それに対してこちらは技術系の大学であることが有利なのかもしれませんね。テクノロジーはそれ自体で専門分野が何かを決定づけるものではありません。そのためある意味、その専門分野というものがよりオープンになっています。これは賞賛されるべきことでしょう。

I: では、ここの学生たちにとってどのような可能性が見えるでしょうか?

J: そうですね、専門分野や規律に関する言説のようなものはあります。テクノロジーが芸術に影響を及ぼし、専門分野が消滅したり、進化したりしてきたことは興味深いことです。例えば、ファインアートの分野では、アクリル絵の具や油絵の具といった伝統的な素材と使い方が、(油画というような)ある専門分野を定義するのに役立っているのかもしれません。しかし、今日やったようなワークショップでは、果たして何らかの素材が私たちの専門分野を定義すると言うのでしょうか?マイクロチップか、それとも私たちが使ったワイヤーか?(一方、)そういった材料同士をつなぐ「連結点」について考えるのはとても興味深いことです。それらはアートやサウンドを作るための特定のアプローチというよりも、むしろ技術的なものでとても新鮮にも感じられます。技術面の話は刺激的ですからね。だけど技術面だけに偏るのは少し恐ろしくもあります。私たちは専門分野や規律というものからもっと自由であった方が良いでしょうね。

 
 

インタビュー、翻訳:デザイン学部 松村誠一郎