対象者の小さな変化に気づくことができる、感性豊かな作業療法士になろう!
医療保健学部 作業療法学科 酒井 弘美 准教授
作業療法士になって32年という酒井先生。身体障害や高次脳機能障害の作業療法を専門とされています。今回は、他大学と共同で研究開発中の高次脳機能障害を評価するシステムについての詳細や作業療法士に必要となる素養についてお話しいただきました。
■先生のご研究について教えてください。
私の研究テーマの一つは、「バーチャルリアリティ技術を用いた高次脳機能障害の評価システムの開発」です。高次脳機能障害とは、脳卒中や事故などで脳に損傷をきたしたために、記憶や注意、空間認知や思考などの認知障害が生じ、日常・社会生活が困難になった状態を言います。高次脳機能障害とされる「注意障害」、「記憶障害」、計画的に物事をすすめられない「遂行機能障害」、感情等のコントロールができずに社会的問題を起こしてしまう「社会的行動障害」等により、日常生活や社会生活にうまく適応できない方がたくさんいます。現在、この高次脳機能障害を評価する方法として神経心理学テストが多く用いられているのですが、机上の検査では本当の日常生活における問題を捉えきれないという指摘があります。そこでバーチャルリアリティ技術に注目しました。その利点は、1)より日常の生活に近い問題の評価が可能になること、2)環境を一定にすることで、よくなっていく変化をとらえることや他者との比較が容易となること、3)専門的技術がなくとも、多くの職種がより簡便に施行できること、4)安全な状態でできることなどです。バーチャルリアリティを使った高次脳評価システムについては、海外ではいくつかの報告はあるものの、標準化されているものはなく、日本ではまだ全くと言っていいほどありません。そのため、神戸大学大学院の工学部の先生方と一緒に、システム開発に取り組んでいるところです。
■その「高次脳機能障害の評価システム」とは、どのようなものですか?
システムの内容は、パソコンの画面上の“バーチャル商店街”で、タッチパネルの操作で商店街を自由に動き回りながら「買い物」課題を遂行させ、その遂行過程を量的・質的に分析することにより高次脳機能の評価を行うというものです。
楽しみながらできるちょっとしたゲームのようなシステムになります。例えば、「パンと茶碗を買う」という課題では、まず買うものを覚えてもらい、実際に覚えたかどうかを確認します。短い記憶の検査ですね。それから地図表示を見ながら、どこで何を買うか、どういう順番で買い物したら一番効率がいいかを計画立てます。その計画を自分で覚えておいて、次に効果音も入ったバーチャル画面の中での買い物を始めます。画面には、商店街のように店や建物が並んでいる道が表示されるので、そこを進みながら、さっき立てた計画に沿って買い物をしていきます。例えば、茶碗を買うために陶器店に入ります。店の中に入ると、いくつかの似たような商品の中が表示されており、その中からきちんと茶碗を選んで買えるかどうか、ということをテストしています。ちなみに、店に並ぶ商品は、課題となっているものと色が同じもの、形が同じものなど、いくつかの間違いやすい設定がなされていて、買うものを間違った場合、何が原因で間違ったのかを測ることができるようにしています。また、画面上には「メモ」と「鞄」というキュー(手掛かり)のアイコンがあって、途中で買うものを忘れたときは「メモ」を選んで見ることで課題を思い出せますし、鞄の中を見れば、残りの課題を確認することもできます。そのように忘れたときに適切にキューを使えるかも評価の一つです。
この何気ない買い物ゲームの中に、実は先ほどお話しした高次脳機能障害のさまざまな症状を評価する要素が入っています。例えば、商店街の店は左右に並んでいますから、左右に注意を配れるかどうかという点。これは注意や空間認知機能の要素になります。また、課題を覚えることは、短期記憶や予定を覚える展望記憶、情報を一時的に覚えていながら作業するワーキングメモリと呼ばれる記憶機能です。また、買い物を計画立てる、そしてその通りに行う、誤ったときは修正できるかは遂行機能の要素になります。それから、道を行ったり来たりするのに、自分の位置をとらえる地誌的認知なども評価の対象になります。このシステムでは、計画するのにかかった時間、間違いや道と店それぞれでかかった時間、キューの使用回数、方向転換の回数、そして計画通りにできたかということがログとして時系列に記録され、テスト後に一目で把握することができるようになっているんです。
■現状、この研究はどういう段階にあるのですか?
このシステムは、まだ開発途中ですが、ここ2年をかけて健常者300人以上に、このシステムを体験してもらい年代別の標準値を出しました。すると興味深いことに、間違いの数や所要時間が50歳代の方から大幅に増える、つまり成績が低下するということがわかったんです。特に作業記憶や、展望記憶、遂行機能などの前頭葉の働きは50歳代から顕著に落ち始めるといわれているのと一致します。また、生活も自立しており、知能テストで問題ない方々の中で、年代の平均より大きく外れ値を示す方も、50、60からみられることもわかりました。そういう結果から、今後はこのシステムが軽度認知症のスクリーニングにも使えるのではないかと思っています。
また、今は共同研究している先生が、このシステムと既存の神経心理学的な検査を照らし合わせて、この検査が信頼できるのか、このテストで脳の機能の低下を測れるのかどうか調べてくれています。一応、現時点では相関があるということがわかったのですが、私の方では、まだ納得できない点があるので、もう少し検証を続けていきたいと思っています。それから先ほど健常者を対象にしたテストで、脳の認知機能が50歳代から落ちていると言いましたが、果たしてそれが本当に脳の加齢によるものなのか、他のテストとマッチングさせながら検証してみたいと考えています。さらに、このバーチャル画面で行うことと、現実世界で行うこととが同じ結果になるのかどうかの検証も必要です。ですから、今後は買い物課題としてコンビニエンスストアの課題をつくってもらい、バーチャルのコンビニでテストを受けた場合と、実際のコンビニに行って課題を行う場合とで、同じ反応が得られるのかどうか確かめてみたいと思っています。
■では教育について伺います。学生をどんな作業療法士に育てたいとお考えですか?
作業療法といえば、手の訓練に手工芸をしている様子を思い浮かべる方が多いかと思いますが、そればかりではありません。作業療法で言う作業とは、「人が自分の意思で行うすべての活動」を言います。日常生活や社会生活の中で、食事やトイレ、洗面や着替え、お風呂などの基本的な日常生活活動や料理、洗濯、掃除などの家事、学校での勉強や仕事、遊びといったすべての活動を作業といいます。作業療法とは、心や身体の障害のためにできなくなったこれらの作業を取り戻すために、対象者を支援していく仕事です。その作業ができない要因はどこにあるのか、どうしたらできるのかを評価し、対象者一人一人に合わせて適切な方法でできるように援助をしていくことが作業療法なのです。直接作業に働きかけるのですから、こんなに面白い仕事はないと思っています。
その仕事の中で大切になってくるのは、何よりも誠実に対象者に向かい合うことです。対象者にとって大事な作業がどうしたらできるかを対象者と一緒に考え、一つ一つ真剣に取り組む姿勢が大事です。
また、“気づく”ことはとても重要です。私は、恩師から「感性の豊かな作業療法士になれ」と言われた言葉をずっと大事にしています。感性というといろいろな要素がありますが、まず、「あれ?」と気づくことだと思うんです。患者さんに「おはようございます」と言ったとき、何かいつもと表情が違う、目線が違う方に行っている、声の調子が昨日と違う、ちょっと表情が暗いといった変化に気づけるかどうか。右手の挙げ方が普段と違う、左手と動き方が違う…その気づきがあってから、原因を探っていきます。何が原因かを本人や周りに聞いたり、検査したりして、解決の糸口を探るのです。ですから学生には、ぜひ“気づく”ことができる作業療法士になってほしいですし、そうなるよう育てたいと思っています。また、知識がないと気づけませんので、たくさん勉強してほしいと思います。あとは感性を豊かにするために、本を読んだり、遊んだり、友達とケンカしたり(笑)して色々なことを面白がってしてほしいなと思います。
■最後に今後の展望をお聞かせください。
高次脳機能障害の評価システムは、先ほどお話ししたように、さらに開発を進め、いずれは地域の公民館などに設置してもらって、誰もが気軽にチェックできるものになればと思っています。また教育面では、将来的に日本一面白い授業を学生さんと一緒につくっていきたいと思っています。今はまだ、私自身がこの大学に来て1年ほどですし、途中から受け持った学生さんには基礎を理解してもらうことがまず先でした。わかりやすい授業になるよう心がけていますが、いずれは聞いて覚えるばかりの授業ではなく、見たり聞いたり、においをかいだり、触ったり動いたり、五感をフルに使って、楽しみながら効率よく学習していく。そして、作業療法の疑問には、学生が自ら考えて、自分なりの答えを作ることができるような講義をしていきたいと思っています。
■医療保健学部 作業療法学科 酒井 弘美 准教授 個人ページ
https://www.teu.ac.jp/info/lab/teacher/medical_dep/337.html
■医療保健学部WEBサイト
https://www.teu.ac.jp/gakubu/medical/index.html
・次回は11月9日に配信予定です。